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↓↓↓Nako講師になる物語【前編】↓↓↓から続きます。。。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ(*´ω`*)
ピアノ講師 ”強制終了”へ
都会での生活・・・とうとうギブアップ!!
念願の楽器店講師になり、
アルバイトとのかけもちでスケジュールに追われる中、
肩こり、頭痛、吐き気
生理不順、etc…
カラダがSOSサインを発信し、
だんだんと慢性化していきました。(+_+)
その不調の原因のひとつは、
仕事で忙しかった母に代わって、
ずっと私のお世話をしてくれた大好きなおばぁの死。
(おばぁ→沖縄ではおばあちゃん…の愛称です。)
おばあの死が受け止められず、
ぽっかり空いた心の穴
カラダからのSOS
にっちもさっちもいかなくなり、観念した私は、
ココロとカラダに向き合うためピアノ講師の仕事を手放し、
一旦、おばあと過ごした地元へ帰る決意をしました。
さらに追い込む劣等感・・・
体質改善へのアプローチとして
エアロビクス教室や整体へ通いつつ、
自然や本に触れ
気ままにピアノを弾いているうちに、
少しずつ元気を取り戻してきました。
ココロもカラダもだんだんほぐれていき、
またピアノの先生(勤務講師)として復帰を果たしました♪
この時、
音大卒ではないということで
他の講師のお給料形式とは違い、
時給制での採用でした。
『 やっぱり…
音大へ行っているといないとでは差があるんだ…
音大へ行っていない私を雇ってもらえるだけでもありがたいと思わなくちゃ!』
と、
その個人教室の雇用形 =(イコール)世の中の決まり
だと思い込み、
まるで劣等感を納得させるように、
より自分自身を追い込んでしまいました(^-^;
まさかの脳腫瘍宣告!!!
そんな矢先・・・
なかなか改善されない身体の不調と血液検査の結果に、
そういえば昔、
「もしかして、脳に原因があるかも…」
と話していた主治医のつぶやきをふと思い出し、
試しにMRIを受けてみたところ
なんと、
脳腫瘍が見つかりました!!
これまでの身体の不調の原因は、
この脳腫瘍からきていたことが発覚したのです。
身辺整理をして、
入院に備えてください…
と医師から言われました。
「先生、それって仕事にもお家にも戻れないかも、ってことですか??」
「…検査してみないと分かりませんが、それも覚悟しておいてください。」
・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
最終宣告ともいえる内容に、
・・坊主頭
・・・辞表
・・捨てておくモノ
・・・遺書
と、まるで連想ゲームのようにグルグルと思考が脳をかけ回っていました。
ところが何故かしら
私のココロとカラダは、
「やっと見つけてくれた!」
と小躍りしているように感じたのですよね。(*‘ω‘ *)
今まであきらめずに
一生懸命サインを送ってくれていた自分のカラダが
とてもとても愛おしくなりました。
ピアノ講師 夢の再スタート
病からの復活
ココロがゆるむと
カラダもゆるむ
また逆も然り。
その後、
手術も無事成功し
当たり前だと思っていた日常に戻った時、
私の人生観はガラリと変わりました。
ココロもカラダも楽に自分らしく生きたい
ココロもカラダも楽になるピアノレッスンがしたい
と望むようになったのです。
“音が苦”にならないレッスンをしたい
“音楽”は字のごとく、音を楽しむもの♪
私の友達や保護者さんの中には…
「ピアノの練習が嫌で嫌で…」
「先生が怖くて」
「親に無理矢理通わされて…」
などなど…
“音が苦”になってピアノを離れた方もチラホラいらっしゃいました。
楽しいことは続けられる
好きこそ物の上手なれ♪
- まずはピアノが楽しいと思ってもらえるレッスンを
- それぞれのペースで、気持ちに添ったレッスンを
そして実は何よりも
私自身が一番レッスンを楽しんでいました(´艸`*)
↑ ↑ ↑
このようになれたのは、
音大卒かどうかにこだわっていた自分をやっと解き放つことができ、
今の自分に何が提供できるか
を本当の意味で考えられるようになっていたからです。
いつの間にかサラリと
「保育科卒です♪」
と言えるようになっていました。
(聞かれたら…ですが。聞いてくる人はほとんどいませんでしたよ。)
新たに勤務講師をしながら、
空いている曜日も自宅アパートでピアノを教え始めました。
自宅レッスンでは
- 本人の興味が向く教本を一緒に選んだり・・
- 歌ったり、リコーダーの練習をしてみたり・・
- 学校での伴奏曲や校歌を練習してみたり・・
その都度、
色々なレッスンを楽しみました♪
このレッスンの様子やピアノにかける想いについては、
ブログでも少しずつ紹介していきますね。
Nakoのプライベートヒストリー
Nako 妻・母になる…
プライベートでも本当にたくさんのことがありました。
病気のこともありましたから、
もしかして子どもは産めないかもしれないし…と
結婚は考えていなかったのですが・・・
おじさんの紹介で出会った主人と
まさかの電撃結婚!
そしてなんと!!
諦めていたにもかかわらず
すぐに長男を授かり、
2年後には娘も授かました。
自分が母になって初めて、
母&世の中のお母さんたちの偉大さを
痛感しました。
『子どもは生まれた時点で
既に親孝行を終えている…』
何をするわけでもなく
ただ生まれてきてくれたということ、
その存在自体が
もう親としての喜びを満たしてくれている・・・
(と私の中では解釈しています)
子どもたちの笑顔や寝顔を見ていると
心からそう思えました(*´ω`*)
と同時に、
生後12日間しか一緒にいられなかった父も、
もしかしたらそんな眼差しを向けて喜んでいてくれたのかもしれないなぁ~
と、思えてきたりもして、
不思議と
少しずつ…
小さい頃のNakoも癒されていくようでした(´ω`*)
個性?発達障がい??
子どもたちは2人とも保育園にお世話になりつつ、
元気にすくすくマイペースに育ちました♪
長男は
歩くのもおしゃべりも早かったのですが、
下の娘は
歩くのも発語も遅く、
人見知りも激しい子どもでした。
音やニオイ、味覚にも敏感で、コミュニケーションも一方的。
保育士経験とたくさんの子どもたちと関わってきた経験から、
娘は(発達障がい)グレーゾーンだなぁ…
と、気付いてはいましたが、
これも個性
と、診断を受けるまでには至らず…。
保育園の先生から
就学前支援のお話があり、
娘は、1年間、園でサポートして頂いた後
通常学級で入学しました。
その入学式から1週間後…
「学校ってどんなとこか分かったから、もういいわ~♪」
と、退学を宣言する娘…(^-^;
娘からすると、
時間によって区切られる毎日
集団行動
これらの決まりが
苦痛でしかなかったようです。
それでも、
図書室で本を借りる楽しみと
体調不良という名のリフレッシュ休暇(!?)を時々取り入れながら、
娘は何とかがんばって通っていました。
一方、
私、Nakoはと言いますと・・・
勤務講師のお仕事は卒業し、
自宅の生徒さん数名のみ、のレッスンにしぼりました。
理由は、
娘の登校拒否や
学校でのパニックも増えてきたことで、
彼女(娘)の安心する場所を確保することを優先させたい
と思ったからです。
(プラス、家族の病気の介護も重なってしまい…💦)
わが子を発達障がいという枠の中におさめたくない!
という強い抵抗感を持っていた私でしたが、
でも、実際苦しんでいる娘を目の当たりにして、
カタチにこだわっていたのは私自身だと気付かされました。
最優先するのは、何よりも娘の安心、ただそれだけでした。
学校や外でも娘が安心できる場所を広げていくため、
発達障がいの診断を受けることにしました。
娘は
支援クラスと通常(交流)クラスを行き来できるようになると、
登校渋りも減り、少しずつ
学校でも安心する様子が感じられるようになりました。
誰もがみんな世界で一つだけの花
コミュニケーションが苦手な娘ですが、
実際、本人は自分の世界観の中で何だかいつも楽しそう♪
そんな姿が周りを和ませてくれます。
そして
世の中本当によく出来ていると思うのですが、
長男は妹が大好きで、
その上、お世話をすることも大好き!!(笑)
私、Nakoは母親として
1人でがんばっていた気でいましたが・・・
(なんのこっちゃ(笑))
ふと見渡してみれば
周りにはたくさんのサポーターがいてくれました。(*^^*)
子育ては親育て
とよく聞きますが、
本当にそうですね。
世界にひとつだけの花
みんなちがってみんないい
私のピアノ教室のレッスンも
生徒さんひとりひとり
それぞれのペースで個性を大切にしています。
このレッスンスタイルは、
娘や息子の姿から教わったものでもあります。
ありがたや・・・♪
だいぶ長くなってしまいましたが、
これまで私、Nakoが生きてきた道を
ご紹介させていただきました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
あなたの毎日を応援しています♪