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このページでは、
私、Nakoがピアノ講師になるまでの「歴史」をお伝えしていきます。
私がピアノ講師になるまでには、
人生山あり谷ありetc… 本当にいろいろなことが起こりました。
…が!! 今となっては、
それらのおかげで今がある・・・
と、心の底から思えるようにもなってきました。
そう思えるまでにはもちろん時間が必要だったのですが…(^-^;
- 父の他界、母子家庭、音大受験に尻込み&挫折、保育士に進路変更。
- 社会人になってから音楽専門学校へ。
- 憧れのピアノ講師になるも、脳腫瘍発覚で医師から最終通告を受け手術。
- 病気が原因で結婚を諦めるも、無事に主人と出逢い、電撃結婚・出産。
- 2人の子どもに恵まれ、下の娘は発達障がいの診断を受ける。
ざっくりと振り返ってみても、
ずいぶん色々あったな~と感じます。(*´ω`*)
私自身もこれまで、いろいろな方々の人生録から
生きるヒントやたくさんの勇気をもらってきましたが、
今回、こうして私の経験を書き記すことで、
もしかすると・・・
・ピアノの先生になりたいのだけどどうすれば良い?
・人生的にちょっと迷子になりつつある方
・ピアノとどう接して良いかわからなくなってしまった方
そんな方たちへのエールや、
何かしらのヒントを感じてくれる方もいるかもしれない・・・
そんな思いを抱きつつ、山あり谷ありの人生を書いてみることにしました!
最後までお付き合いいただけると、嬉しく思います。(*´ω`*)
ピアノ講師になるまでの”長い道のり”
音大出じゃなくてもピアノ講師になれる!
私、Nakoは…
ピアノ大好き♪
子ども大好き♪
保育科出身・音大を出ていない
沖縄在住のピアノ講師です。
大きな声では言えませんが、
ピアノ講師なのに
音大へ行っていないコンプレックス
を長年、抱えていました。
それでも、
- 子どもたちにピアノの楽しさを伝えたい
- それぞれの個性に添ったピアノレッスンをしたい
- ピアノとピアノの愛好者の人たちとの間の橋渡し役になりたい
こんな気持ちを持ち続けながら、
これまでの約20年間
延200人以上の生徒さんと
ピアノレッスンを共にしてきました。
ピアノを諦め、一度は保育士の道へ
ピアノ講師歴20年のこの私も
実は、
過去には音楽(ピアノ)の道をあきらめた時期がありました。
でも、紆余曲折はあったのもの
私の人生はピアノに始まり、
結局はピアノに戻り、
それを生涯の職業とするまでに至りました。
そのピアノと私の最初の出会いは
幼稚園の時でした。
Nako とピアノヒストリー
付録の紙鍵盤での練習の日々
お友達の通うピアノ教室でピアノにひとめぼれし、ピアノを習い始めたものの、
お家での練習グッズは教本の付録の紙鍵盤でした!
当時、私の家庭はピアノを買ってもらえるような
余裕がある経済状態ではなかったのです。
それでもピアノのレッスンへ通えるのが嬉しくて楽しくて
仕方ありませんでした(*^^*)
と言いますのも…
小さい頃から自分の気持ちを言葉にすることが苦手な私。
唯一の自己表現が
「ピアノを弾くこと」だったのだと思います。
ピアノを弾くことは自分の感情の解放につながっていたのです・・・
そのうち私の練習道具(ピアノの代わり)は
兄のお下がりの鍵盤ハーモニカへ変わり、
曲が進むに連れて、鍵盤が足りない!!!
それでも自分なりに
1オクターブ下に戻って弾いたり
右手と左手を重ねて弾いてみたり
自分なりに工夫して練習していました。(*^^*)
小4で鍵盤ハーモニカを卒業!
そんな私のピアノへの熱意を感じた母が
ある日突然、
アップライトピアノを買ってくれたのです♪
ピアノを習い始めて4年目、
小4の頃でした。
私が生まれてすぐに父が事故で亡くなり、
母は女手一つで、4人の子を育ててくれました。
当時、ピアノを習う、買うということは
経済的にも大変だったと思いますが、
母の口からは一言も弱音を聞いたことがありませんでした。
今思うと、
母子家庭で子ども4人を育てながら
アップライトのピアノを買うということは、
母からすればものすごく大変なことだったのだと思います。
ピアノの道に進みたくない!!!
学校で嫌なことがあっても
落ち込んでいても、
ピアノを弾いている時は忘れられる。
そして弾いた後は少し元気になれる。
嬉しい時も
悲しい時も
いつでも
ピアノの前では素の自分でいられました。
(小さい頃から周りの顔色をうかがってしまうタイプでしたので…>^_^< )
悩み多き多感な思春期にも
受験期間の気分転換&現実逃避にも
いつでもピアノが寄り添ってくれました♪
ピアノの先生の都合で教室は変わりつつも、
小、中、高と途切れることなく、ずっとレッスンに通いました。
(中学の頃は部活で疲れてさぼる日もチラホラ…苦笑)
ところが、
進路を決める!と言う時になり、
なぜか?
ピアノの道を諦めてしまう
という謎な行動をとってしまいます。。。
ピアノから逃げたい!謎の行動のワケ
大好きなピアノから逃げるという
自分でも摩訶不思議な行動に至った理由はというと…
- 課題曲三昧でピアノを弾くのが楽しくなくなった(*´з`)
- 経済的にも、国公立大の音楽科を受験する方向へ。
- 勉強も実技も、狭き門に怖気ずく(落ちたらかっこ悪すぎる・・・苦笑)
- 先生からの「音大を出た後は留学して、帰国後はこの教室の先生に…」との提案を真面目に受けとめ、その道から逃げ出したくなる(*ノωノ)
・・・とにかく現実を捨てて逃げ出したくなってしまったのです…💦
こんなこともあり、
あまのじゃくで失敗の恐いNakoは、
高3の夏、
急遽、保育科の道へと方向転換したのです!
高校卒業後は保育の短大へ進学。
その後上京し、保育士として働くことになりました。
夢の保育士とピアノ講師へ
夢の保育士の仕事をしつつも 第1の夢が忘れられず・・
この保育士という仕事は、
ピアノと同じくらいの重要性を占める
小さい頃から夢のひとつでもありました。
つまり、
ピアノが1番、保育士が2番。
どちらも甲乙つけがたい・・・・
と言った感じでしょうか。
その夢の1つを叶え、
かわいい子どもたちに囲まれて
保育士として楽しく働きました♪
・・・・と、なるはずだったのですが、
何かが足りない。。。
その何かがよくわからないまま、
それでもピアノが弾きたいという気持ちが抑えられず、
とうとうせっかくつかんだ夢の保育士の仕事を辞め、
音楽専門学校へ通うことにしたのです。
今思えば、ピアノ切れだったのです💦
夢のピアノ講師になるも、大きな挫折が・・・
ピアノに触れられる毎日♪
音楽を学べる喜び♪
バイトで学費を稼ぎつつ、
いそがしいながらも好きなことに向かえる日々
身体はクタクタながらも、心は充実していました(*^^*)
その後、
講師採用試験を受け、
楽器店講師として働き始めました♪
Nako、劣等感でぺしゃんこになる(涙)
こうして楽器店の採用試験にも無事合格。
今度は第1の夢を叶えられ、
順風満帆な人生!!!
となるはずだったのですが・・・
やっと叶ったピアノ講師の道なのに
とにかく自信がない!!!
同期メンバー
先輩講師
新人指導の講師陣
私が配属された支部で
音大卒じゃなかったのは
私1人だったかと思います。
「音大へ行っている、いないは関係ない」
と、指導講師や同期メンバーが口をそろえて励ましてくれましたが、
そこにこだわって、
ひとりで勝手にコンプレックスを抱え込んいたのは、
他でもない私自身でした。。。
音大行っていない私が教えていいのかなぁ…
…と、そんな考えがいつも脳を占領していました。
そんな甘っちょろいことを言っている暇があったら、スキルを磨くべし!!
と、もう1人のスパルタ体育会系女子Nakoが脳内に登場(笑)。
コンプレックスに押しつぶされそうになりながら
自分に喝を入れたり
なだめてみたり…。
今思えば、
1人Nako 劇場で
自分で作ったコンプレックス
と、かなり長い間戦っていました。。。
その一方で・・・
一度は捨てたピアノがある生活を取り戻し、
子どもたちとのレッスンや
新人研修で学べる時間が喜びでもあった、
そんな時期を過ごしました。
↓↓↓ 後編に続きます↓↓↓
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